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あっ、みつかっちゃった。これからもよろしくm(__)m

北欧の良心、TNT

  鳴り止まぬアンコールを求める手拍子の中で、彼らは何を思っていたのだろう。

  1992年、8月20日。尼崎アルカイックホールに私はいた。TNTが解散することを知ったのはそのコンサートの夜だった。

  彼らが広く知られるようになったのは1989年。SKID ROWを初めとして、WARRANTや、WINGER、EXTREME、その他多くのキラ星のようなバンド達がデビューを果たした年だった。北欧のバンドも、TNT、220VOLTや、トリート、PRETTY MAIDSなどがアメリカ進出を目指してそれぞれ活動していた。中でも、北欧のバンドとしてはTNTはダントツの人気を誇っていた。

  TNTは、ブロンドのフロントマン、トニー・ハーネルの超音波のような美声、メンバーの人の良さそうなキャラクター、ルックスもなかなかだったので、女の子に結構人気があったバンドだが、ギタリストのロニー・ル・テクロはギターキッズが憧れるテクニカルなプレイヤーだったので同時に男の子にも人気があった。

  注目され出したのは80年代も後半になってからと遅咲きの花のようなTNTだが、バンドの歴史は古く、デビューは1983年。
今から、20年も昔のことだ。
デビューアルバムは「TNT」というタイトルで、母国語ノルウェー語で歌われていたらしい。
1984年には、早くもワールドワイドなデビューを果たし、「ナイツ・オブ・ニュー・サンダー」というアルバムをリリース。この時は北欧のバンドらしく「バイキング」をイメージカラーとしていた。それから2年半後、3作目の「テル・ノー・テイルズ」発表。
このアルバムで彼らは大変貌をとげ、あの「TNTサウンド」が編み出されたのだ。

  そんな長い歴史を持つバンドだった彼らだが、1989年発売の4作目「INTUITION」で、その人気はついに爆発した。
彼らの出世作「INTUITION」----直感。
このアルバムで彼らが聴かせる音楽は北欧の代名詞ともなった透明感溢れるみずみずしい音である。アルバムタイトル曲である「Intuition」や、「Tonight I'm Falling」、「Take Me Down(Fallen Angel)」などにその魅力は凝縮されている。トニーの天才的な歌唱力、ロニーの独特のふくらみを持ったちょっと風変わりなギターの音色、タイトなリズムセクション、バックコーラスのまとまり、そして時に哀愁漂う美しいメロディライン。まさにTNTの個性が見事に花開いたのだ。アルバムは日本で大ヒットを飛ばしたが、残念ながらその火はアメリカまで届かず、EUROPEのようにアメリカで大成功することはなかった。

  日本のファンに暖かく見守られていた彼らだったが、アメリカでの成功を望むあまり、勇み足になってしまい、次のアルバム「REALIZED FANTASIES」は、はっきりいってコケてしまった。曲が悪いというのじゃ決してないが、前作の大聖堂のステンドグラスをモチーフとした荘厳なアートワークのジャケットと比べると軽いアメリカンな絵のジャケットは見劣りしてたし、音の方も一聴して当時流行っていたヘヴィネスな響きが感じられてしまい、「なんか変わっちゃったなー、TNT。」と正直思っていた。

  後にわかったことだが、アメリカでの成功をもっとも望んだのは、バンド唯一のアメリカ人、サンディエゴ出身のトニーだったらしい。その野心はメンバー全体を巻き込んだが、根っからの北欧人であるロニー・ル・テクロはアメリカでの生活に疲れきっていた。
それがやがてバンド内に不協和音をもたらしていったようだ。

  そんなバンド内部の状態など知る由もない私は、尼崎でのコンサートを楽しみにしていた。初来日公演はタイミングが合わず見逃してしまったので、TNTの演奏、特にトニーの高音ヴォイスを生で聴けるこの日を待ち望んでいた。


  その日のコンサートは、ニューアルバムの曲、「Purple Moutain's Majesty」で幕を開けた。
意外なオープニングに私は少し戸惑った。
3曲目に「Downhill Racer」を演奏しても気持ちはなかなか盛り上がらず、4曲目「見わたす限り」が演奏され、会場のテンションが少しずつ高まってきた。そして、5曲目「Intuition」へ。やはり観客はこの曲を聴きにきたのだと思えるくらい、サビの部分を合唱する人が多かった。
その後も新旧とり混ぜた選曲でコンサートはすすんでいった。途中、やはりテクニカルなバンドなので、ギター・ソロやベース&ドラムジャムなどもあった。
  生で聴くトニーの高音は、本当にびっくりするほど高かった。大げさでなくホールの天井を突き抜けるくらいの伸びがあった。ロニーのギターもさすがという感じだったし、演奏は充実していた。
コンサート本編は「All You Need」で幕を閉じ、アンコールがなんと4曲!もあった。
よく覚えているのは、その日の最後の曲となった「Everyone's A Star」の曲中、観客との掛け合いで、トニーが自分のハイトーンに続けて、観客を歌わせようとするのだが、もちろんそんな高い声が出るわけがない。トニーは楽しそうに笑っていた。
曲が終わって、彼らはステージを降りていった。が、その後なおも観客はアンコールを求め続けた。私は彼らの事情を全く知らなかったので友人と長いアンコールだなぁどうして誰も席を立たないのだろう、と疑問に思っていた。アンコールを求める手拍子は5分以上も鳴り止まなかったが、彼らは2度とステージにもどってはこなかった------。


  TNTが北欧メタルシーンを去り、寂しい思いだったが、1997年2月、「FIREFLY」アルバムをリリース。
5年の歳月を経てついに彼らは復活した。
比較的大きなライブハウスで来日ギグがあり、もちろん参加した。往年の北欧的なナンバーもまるで違う曲のようにヘヴィになりすぎていたし、あまりノレなかった。メンバーの衣装もネルのシャツ(!)を着ていたりして、前回とは、あまりにも違い過ぎていた。ヴォーカルのトニーもハイトーンよりは、低音域で歌うことが多かった。
私は、戸惑う気持ちを通り越して、TNTに幻滅さえ感じてしまった。それでもやはり演奏は上手いし、ある程度は満足してライブハウスを後にした。

  今は、「REALIZED FANTASIES」も時々聴くようになった。何故あの時はこのアルバムの良さがぜんっぜんわからなかったのだろうと思う。確かに曲はヘヴィだし、アメリカンな部分もあるが、じっくり聴きこむとTNT本来のメロディアスな曲展開が随所に発揮されていて従来の音を発展させたような意欲的な作品に仕上がっている。現在、日本盤は廃盤となっているが、輸入盤は生きているので、興味が湧いた方はぜひ聴いて見て欲しい。

  TNTはその後も、「TRANGISTER」、ミニアルバム「TASTE」を発表し、活動している。

  心配なのはトニーが以前のようなハイトーンが出せなくなったらしい、という噂を聞いたことだ。。

  とはいえ、ニューアルバムもいずれ発売されるだろうし、まだまだ彼らからは目を離せそうにない私なのである。


2003年10月19日


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